こんにちは、みやじです。
今日は、私の実体験をもとに「脊髄小脳変性症(DRPLA)」の家族との向き合い方について綴ります。
この病気を抱える家族を持ったとき、どう向き合えばいいのか――
私たち家族は早くに父、母を亡くし、頼れる親戚もいないため、病気のことも誰も正確な情報を持たない中で発覚し、ずっと戸惑ってきました。
兄が病気になった。すべてが変わった。
私の兄は30代後半で発症しました。
最初は片足を引きずるようになり、漢字が書けなくなり、電話では言葉が聞き取りづらくなり…。
違和感が積み重なり、職場から仕事ができない上、様子がおかしいと連絡を受けようやく病院へ。
診断は「脊髄小脳変性症(DRPLA)」――
難病で、治療法もなく、進行性で、しかも遺伝性があります。
それからは、急な転倒、精神症状、重責てんかん、意識障害…と、次々と現れる現実に追いつけないまま、私は“支える側”になりました。
人を支えるって、孤独で重い
私は3人の子どもを育てながら、兄の施設費、通院手配、保険金申請、役所とのやりとり、携帯や税金の支払いまで、兄の生活にかかわること全ての手続きを一人でこなしてきました。
それでも病気の進行もあり、私の行動一つひとつが疎ましくかんじるのかちょっとした指摘に怒りの感情を示すようになっていきました。
私だって遺伝の可能性があって、向き合いながらやっているんだと伝えると、「じゃあ全部変わってくれよ」と突き放されます。
どんなに突き放されても、「家族だから」「私しかいないから」そう思って動き続けるしかありません。
でも、本音を言えば――
私は、もう限界でした。
家族だから支えなきゃいけないの?
「家族だから支えるのが当たり前」
「親が亡くなったんだから、あなたしかいない」
「かわいそうな兄を見捨てるのか」
関わる人たちの反応や手続き上で必要な自分の存在を考えると
私がやらなきゃいけない、支えなきゃいけないんだって思うんです。
でも、本当にそうでしょうか。
“支える”って、全部を背負うことじゃない。
“支える”って、自分を犠牲にすることじゃない。
もし支えることで、自分の人生が壊れてしまうなら、それは本末転倒だと思います。
私たち家族が抱える葛藤
脊髄小脳変性症は、症状も進行も人によって異なります。
でも共通するのは、「ゆっくり奪われていく」こと。
その姿を見守る家族は、常に「何もできない苦しさ」に耐えるしかありません。
それだけじゃない。
お金の問題、時間のやりくり、子どもへの影響、周囲の無理解――
病気とともに、私たち家族の、そして兄の生活そのものが静かに蝕まれていくのです。
似た境遇の人へ
今、もしこれを読んでいるあなたが似たような境遇にあって
「もう無理だ」「支えきれない」と思っているなら
それは、本当によくやってきたこと、限界まで頑張ってきたんだと私はわかります。
あなたが感じている重さ、しんどいですよね。
一人で病院に行って、医師の説明を聞いて、同意書にサインして。
時には延命治療についてどうするのか判断まで迫られる。
「できる限りのことをした」
その気持ちがあるなら、あなたはもう十分、家族としての役目を果たしていると思います。
自分の人生は自分で守っていいんです。
脊髄小脳変性症の家族を持つすべての人が、少しでも救われるように――
私もまだ兄との向き合い方に答えが出ていません。
でも、答えを出すことを急がなくてもよいのだと思います。
ぜひ、一緒にゆっくり、考えていきましょう。


